東京地方裁判所 昭和47年(ワ)3262号 判決
原告
吉岡英治
原告
吉岡春雄
原告
吉岡三千子
被告
森田秀夫
被告
森田俊夫
右被告両名訴訟代理人
野村佐太男
同
大越譲
右大越譲訴訟復代理人
疋田郁子
被告
日産サニー新東京販売株式会社
右代表者
広瀬建吉
右訴訟代理人
丸山悦昭
被告
坂口義正
右訴訟代理人
高田利広
同
小海正勝
同
藤本猛
右藤本猛訴訟復代理人
武田隆彌
主文
一 被告森田俊夫、同日産サニー新東京販売株式会社、同坂口義正は、各自、原告吉岡英治に対し金二四七五万六六七五円及びこれに対する昭和五四年三月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告吉岡春雄に対し金二八九万円及び内金一五〇万円に対する昭和四七年四月一日から、内金一三九万円に対する本判決言渡の日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告吉岡三千子に対し金七五万円及びこれに対する昭和四七年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。
二 原告らの被告森田秀夫に対する請求及び被告森田俊夫、同日産サニー新東京販売株式会社、同坂口義正に対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らと被告森田俊夫、同日産サニー新東京販売株式会社、同坂口義正との間においては、原告ら及び右被告三名間に生じた費用を二分し、その一を原告らの、その余を右被告三名の各負担とし、原告らと被告森田秀夫との間においては、その間に生じた費用の全部を原告らの負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一請求の趣旨
1 被告らは、連帯して、原告吉岡英治(以下、「原告英治」という。)に対し金六〇四六万三二〇四円及びこれに対する昭和五四年三月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告吉岡春雄(以下、「原告春雄」という。)に対し金八七五万円及び内金二七五万円に対する昭和四七年四月一日から、内金六〇〇万円に対する本判決言渡の日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告吉岡三千子(以下「原告三千子」という。)に対し金二〇〇万円及びこれに対する昭和四七年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一請求原因
1 本件交通事故の発生
原告英治は、次の交通事故(以下、「本件交通事故」という。)により傷害を受けた。
(一) 日時 昭和四五年一二月二一日午後三時二〇分ころ
(二) 場所 東京都品川区戸越町四丁目六番一号先路上(第二京浜国道に平行してその東側を南北に走る幅員約六メートルの舗装道路。以下、「本件道路」という。)
(三) 加害車輛 被告森田俊夫(以下、「被告俊夫」という。)運転、訴外平島洋子(以下、「平島」という。)同乗の普通乗用自動車(品川五五に三一五三)
(四) 態様 本件道路の東側にある駐車場内で友人ら数名と遊んでいた原告英治は、右駐車場の出入口から駆足で本件道路へ飛び出し、右出入口から約三メートル程道路中央方向へ出た位置で駐車場内へ戻るため右足を軸にして身体を右回りに約一八〇度回転させたが、そのころ本件道路を北から南へ向つて時速約二〇キロメートルで進行してくる加害車輛を発見したので、同車から逃れるべく、まず左足を前に出し、次いで逃げる方向を加害車輛の進行方向に変えながら右足を前に出し、更に左足を前に出して身体が前傾し右足が後方に伸びやや外側にひねるような位置になつたところ、加害車輛がそのまま進行してきてその左前部を同原告の背後からその右下肢膝窩上方部(大腿下部)に衝突させた。
2 原告英治の受傷内容、治療経過及び後遺障害
(一) 受傷内容
原告英治は、本件交通事故により、右膝窩部裂傷、右大腿骨開放性遠位骨端線離開兼骨折、右踵部挫傷、左前額部擦過創及び頭頂後部挫傷の傷害を負つた。
(二) 治療経過
(1) 原告英治は、昭和四五年一二月二一日(本件交通事故当日)直ちに付近の宮川病院に搬入されて入院し、同医院の院長で一般外科医である宮川公一(以下、「宮川医師」という。)により右膝窩部創の約一三針の縫合、右大腿・頭蓋のエックス線写真撮影、右下肢副木固定・包帯、及び患部の診察等の処置を受けたが、その際同医師により「骨折は約三か月の治療により治癒する。神経及び血管には異常がない。右下肢切断の心配はない。」旨診断された。しかし、原告英治は、骨折部の手術の必要があつたため、被告俊夫の父である被告森田秀夫(所越病院院長で一般外科医。以下、「被告秀夫」という。)及び宮川医師の紹介で整形外科を専門とする医師である被告坂口義正(以下、「被告坂口」という。)の診察、治療を受けるべく同被告の経営する坂口病院に転院することとなつた。
(2) 原告英治は、同月二三日午後三時ころ救急車で坂口病院に搬入されて転院したが、右転院については、あらかじめ被告坂口の承諾があり、しかも同日宮川医師から同病院の看護婦に連絡したうえ転院したにもかかわらず、原告英治は医師の診察を受けられないまま病室に収容され、看護婦数名が同原告をベッド上に寝かせ、右下肢の下に砂のうを二段位積み重ねた。そして同日午後四時ころ、原告三千子が同病院の受付に対し被告坂口に診察して欲しい旨申し出たが不在であると言われ、結局原告英治は同日午後七時ころまで医師の診察を受けることができなかつた。同日午後七時ころ、同病院の医師内川義勝(以下、「内川医師」という。)と看護婦が来室し、宮川医院で施された原告英治の右下肢の包帯と副木をはずし、右下肢に牽引用のテープを貼り付けて退室したので、同原告の患部は露出されたまま放置されていたが、約三〇分経過したのち、右看護婦が牽引台を持つて現われ、その上に原告英治の右下肢を乗せて患部に包帯を巻き右下肢に貼付したテープにロープをつけて足先の方向に右足全体を牽引する処置(絆創膏牽引)を行なつたほか、痛み止めの注射を施した。ところが、同日午後八時前ころ、原告三千子が原告英治の右足の露出部分を見ると、同部分に柴色の斑点が現われており、同部分を手で触れてみると冷たくなつているのに気がついた。驚いた原告三千子は、右の看護婦を呼んで原告英治の右の症状を告げ医師の診察を求めたが、右看護婦は退室したまま連絡がなく、約二〇分経過したのち、ようやく別の看護婦が来室して牽引を中断し包帯をはずしたので、原告英治の右下肢は直ちに血色を取り戻した。右看護婦はすぐに伸縮性のある包帯に替えて巻き直し、前と同様に牽引を施した。原告三千子らが同病院を辞去したのちの同日午後九時ころ、被告坂口がはじめて原告英治を診察したが、同原告の右下肢の牽引は依然として続けられた。ところが、内川医師は、自己のした右診療行為についてカルテに記載するなどして被告坂口にひきつがず、また右の看護婦らも原告英治の右のような症状の推移について被告坂口、内川医師らに報告しなかつた。
翌二四日、同病院において、原告英治の右下肢のエックス線写真撮影がされ、被告坂口は、同日午後二時ころ同原告の右下肢を診察したが、そのとき、右足の親指にチアノーゼが現れており、以後数回にわたり砂のうの位置等を変化させるなどしたものの、牽引は同日の夜まで漫然と続けられた。翌二五日午前一〇時ころ、原告英治の右足のチアノーゼは更に悪化し、同日午後被告坂口の執刀で右下肢骨折部位の整復手術(若くは整復手術と称して被告坂口の責任を隠蔽する手術)が行なわれ、その後患部はギブスが施されて固定された。右手術直後一時的にチアノーゼが消失したが、間もなく再びチアノーゼが現われ、同日ころ、同原告の右下肢は既に壊死状態に陥り、その後も同原告の右下肢の壊死は進行していつたが、同病院ではこれに対する適切な治療は何ら施されなかつた。
(3) 原告英治は、昭和四六年一月二〇日、坂口病院から東京逓信病院整形外科に転院して受診したが、そのとき既に右下肢中央付近から足先まで壊死に陥つていて右下肢を切断することが余儀ない状態に至つており、また、翌二一日行なわれた右大腿動脈の血管撮影検査の結果、右膝窩動脈が骨端線離開部において閉塞していることが判明したので、同月二五日、同病院において、整形外科部長渡辺正毅の執刀により大腿骨中下三分の一境界部での右下肢切断手術を受けたところ、同年二月一五日に至つて手術創が治癒し、同年三月四日から仮義足をつけて歩行練習を行なうことができるようになつた。そして、原告英治は、同年四月一九日東京逓信病院から東京身体障害福祉センターに転院して義足による歩行訓練を受けたうえ、同年五月二九日、同センターを退院して家庭に戻り、同月三一日から在学中の小学校に復学した。
(三) 後遺障害
原告英治は、次の後遺障害を被つた。
(1) 右大腿下三分の一以下切断
右障害は、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)施行令二条別表後遺障害別等級表(以下、「等級表」という。)第四級五号に該当する。なお、右障害は、成長層である遠位骨端線を亡失しているので、将来短断端となることから、義足の装着、使用に多大の困難が伴なうことが予測されるものである。
(2) 脳波の異常
原告英治は、本件交通事故による頭部打撲の結果脳波に異常が生じ、痙攣発作の可能性があるため、昭和四六年二月一六日以降内服薬による治療を継続中であるが、将来とも右治療を継続する必要がある。
3 責任原因
(一) 被告俊夫の責任
被告俊夫は、本件交通事故当時、自動車運転免許の効力停止処分を受けていたものである。また、原告英治が、本件道路へ駆け出してそのまま加害車輌に衝突したのでなく、右1(四)のとおりの態様で加害車輛に衝突されたものであることは、加害車輛の前部バンパー左角下フェンダー付近に同原告との接触痕と解される長さ約一〇センチメートル、深さ約二センチメートルの凹損が認められ、同原告の右大腿下部後面に横走する長さ約一五センチメートルの裂創があることから、右裂創は加害車輛の前部左角下付近が同原告の後方ないし右後方から衝突した結果生じたものと考えられること、同原告は衝突後加害車輛の進行方向左側に転倒していること等の事情に照らして明らかである。そして、当時八歳の子供であつた同原告が駐車場出入口から本件道路へ駆け出してから身体を反転させたのち加害車輛に衝突されるまでの時間は二ないし三秒程度であるところ、加害車輛の速度は前記のとおり時速約二〇キロメートルであつたから、同被告は衝突地点の手前約11.2メートルないし16.8メートルの地点で同原告を発見しえたはずである。これに衝突の直前同原告は同車から逃げる方向に走つていたことを併わせ考えると、同被告が前方を十分注視しつつ運転していたとすれば、衝突地点の手前で停止するに十分な時間的、距離的余裕があつたことが明らかである。にもかかわらず、同被告は至近距離に達するまで同原告に気づかず、急制動の措置もとることなく本件事故を惹起したものであるから、本件事故発生につき故意もしくは前方不注視の過失があるものというべきである。
したがつて、被告俊夫には、民法七〇九条の規定に基づき本件交通事故により原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告秀夫の責任
被告秀夫は、戸越病院を経営する開業医であるが、平素、長男である被告俊夫を、自己の往診の際に運転手として自動車を運転させ、また病院の金銭の出納などのため取引銀行へ自己の代理として自動車を運転して赴かせ、更にはエックス線写真の現像の手伝いをさせるなど、自己の業務の補助者として使用していたものである。
また、被告秀夫は、本件交通事故当時、ベンツ、グロリア、ブルーバードの三台の自動車を保有しており、同被告の家族では、同被告のほか被告俊夫、その弟及び被告秀夫の妻も自動車運転免許を有していたが、同被告は、状況に応じて右三台の自動車をいずれも使用していた。
そして、本件交通事故は、右のブルーバードが古くなり買い替えの話が出ていた折、被告俊夫が、買い替えのため加害車輛(日産サニー)の試乗、構造の点検のため同車を運転中に惹起したものである。
したがつて、本件交通事故は、被告俊夫が被告秀夫の経営する戸越病院の業務の執行中惹起したものというべきであり、仮にそうでないとしても、被告俊夫の右運転行為は、外形的には同病院の業務の執行とみられるから、被告秀夫は、民法七一五条一項の規定に基づき被告俊夫の前記不法行為によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。
(三) 被告日産サニー新東京販売株式会社(以下、「被告会社」という。)の責任
承継前被告日産サニー城南販売株式会社(以下、「日産サニー城南販売」という。)は、本件交通事故当時、加害車輛を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、自賠法三条の規定に基づき本件交通事故により原告らが被つた損害を賠償すべき義務を負つていたところ、右日産サニー城南販売は、昭和四九年一二月二日日産サニー共立販売株式会社に合併され、更に同会社は、同日その商号を「日産サニー新東京販売株式会社」(被告会社)に変更する旨の登記を了した。したがつて、被告会社には、本件交通事故により原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。
(四) 被告坂口の責任
(1) 原告英治のように大腿骨遠位骨端線部の骨折の場合、大腿骨の骨幹の骨折片が腓腹筋の収縮力により後方に転位し、これによつて膝関節の後方付近の動脈としては一本しか存在しない膝窩動脈が損傷、圧迫を受けるおそれが極めて高く、しかも右動脈の損傷、圧迫により極めて短時間で下肢に血行障害が生じて壊死に陥り、更には下肢切断を余儀なくされる危険があることは医学上よく知られているところである。したがつて、右のような骨折を負つた原告英治の診察、治療を担当した整形外科医である被告坂口としては、骨折よりも血行状態に注目して救急的な治療処置を講ずべきであり、特に、単純な下腿牽引を施すと膝関節が伸展し膝窩動脈が圧迫あるいは損傷される可能性が高くなるので、膝関節の肢位、牽引方法、重錘の重量の選定などについて十分な注意を払うとともに、牽引の有効性、血管、神経の圧迫、損傷等の症状の発生の有無等を確認し、もし圧迫等の症状が発生した場合には直ちに牽引を中断して症状を確認しながら肢位その他の牽引方法を修正し、あるいは牽引そのものを中止すべきこと、更に医師が牽引の現場を離れる場合には、牽引部位の痛み、色の変化、冷感、痺れ、むくみ、水泡等の状況を詳しく観察して事に応じて医師に連絡をとるよう看護婦を教育、指導し、また医師自らも右のような観察に留意して迅速に異常を発見し適切な措置をとるとともに、万一壊死状態に至つた場合には、専門分野の医師と連絡をとり、場合によつては専門病院に転医させるなどの措置をとるべきこと等の注意義務を負つていたものである。
(2) しかるに、被告坂口は、前記2(二)のとおり右の注意義務を怠たり、原告英治の入院前に被告秀夫から原告英治の骨折部位のエックス線写真を受領してその傷害が重大でしかも血行障害のおそれがあるものであることを了知していながら、同原告が昭和四五年一二月二三日午後三時ごろ入院したのち、自らは同日午後九時ころまで約六時間もの間同原告を診察することなく放置したうえ、看護婦らに対する前記のような教育、指導も怠つたため、その間に内川医師及び看護婦らによつて膝の伸展を防止する配慮を伴なわない不適切な方法による牽引が、患部の十分な観察も症状の変化に伴なう迅速、適切な処置もなされないまま漫然と行なわれ、しかも同日午後九時ころ自ら診察した際に血行障害に対する適切な措置を講ずることなく、その後も不注意かつ不適切な方法による牽引を翌二四日夜まで継続し、翌二五日には同原告の右下肢は壊死の状態に陥つたにもかかわらず、専門病院に転医させるなどの措置をとらなかつたため、右大腿部における切断のやむなき状態に至つたものである。なお、被告坂口は、同日、原告英治の骨折部の手術をして患部をギブスで固定し、以後同原告の右下肢の壊死が進行するのに対して何ら適切な措置を採らなかつたが、このことは、右の自己の責任を隠蔽するため敢えて同原告の生命を危険に晒したもので殺人未遂の行為に該当するものである。また、原告英治の右下肢の壊死の発生、進行については、不適切かつ不注意な牽引を行ない、しかも血行障害に対する迅速、適切な措置を採らなかつた内川医師及び坂口病院の看護婦らにも過失があり、被告坂口は内川医師及び右看護婦らの使用者である。
したがつて、被告坂口は、自己のなした右不法行為につき民法七〇九条の規定に基づき、また、内川医師及び看護婦らのなした右不法行為につき同法七一五条一項の規定に基づき、原告英治が右大腿部を切断するに至つたことによつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。
更には被告坂口と原告英治との間には、同原告が坂口病院に入院するに際し、同原告の傷害に対し適切な診療を行なうことを内容とする診療契約が成立したが、同被告及びその履行補助者である内川医師及び看護婦らにおいて右のとおり診療契約上の債務の本旨に従つた層行を怠つたものであるから、被告坂口は、右債務不履行によつて生じた原告らの損害につき民法四一五条の規定による責任も負うものである。
(五) 被告らの責任関係
以上の被告らの責任は民法七一九条所定の共同不法行為の関係にあるから、被告らは、各自原告らの被つた全損害を賠償すべき義務がある。
4 損害
(一) 原告英治の損害
(1) 逸失利益 金五二〇七万六七四三円
原告英治は、昭和三七年一〇月二四日生れで昭和五四年三月当時満一六歳であつたから、本件交通事故及び本件医療過誤により右大腿下三分の一以下切断の障害を被らなければ、一八歳から六七歳までの四九年間正常に稼働し、その間、昭和五二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の男子労働者全年齢平均給与額である年額金二八一万五三〇〇円と同額の収入を毎年得られたはずであるところ、右後遺障害によりその労働能力を八〇パーセント喪失したものというべきであるから、右年収を基礎にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して昭和五四年三月の時点における逸失利益の現価を算定すると、その合計額は、次の計算式のとおり金五二〇七万六七四三円(一円未満切捨)となる。
2,815,300×0.8×(24.9836−1.8614)=52,076,743
(2) 義足関係費用 金一四三万〇二三五円
原告英治は、右大腿下三分の一以下切断の後遺障害により平均余命の範囲内である満六一歳までの間に、別表1の1のとおり一三回義足の取替を必要とする。義足代と義足装着費用を合わせた義足取替費用は、九歳から一二歳までの四回については一回につき金五万三六〇〇円、以後六一歳までの九回については一回につき金五万七四〇〇円である。
また、右義足は、毎月一回の点検、半年毎に一回の修理を要し、更に右切断部位は半年毎に一回の断端部のエックス線写真撮影を必要とするところ、右義足点検費用は一回につき金一〇〇〇円、別にそのための通院交通費として一回につき金一〇〇〇円、右義足修理費用は一回につき金六四二〇円、右エックス線写真撮影費用は一回につき金一七〇〇円を要するから、これらの一年間に要する費用は金四万〇二四〇円となる。
以上の義足関係費用の支出額ないし支出予定額は別表1の1のとおりであり、これをホフマン式計算法により年毎に年五分の割合による中間利息を控除して原告英治の八歳時における現価を算定すると、別表1の2のとおり、その合計額は金一四三万〇二三五円(一円未満切捨)となる。
(3) 脳障害治療費 金二三一万三四九八円
原告英治は、本件交通事故により脳波に異常を来たしたため、満八歳から満六一歳まで毎月一回診察及び医薬の服用を要し、かつ右医薬服用による副作用として生じる白血球の異常を診察するため、半年毎に一回エックス線写真撮影を必要とする。
右に要する費用は別表2の1のとおり年額金九万〇六〇〇円であるから、これを前同様の方法により中間利息を控除して原告英治の八歳時における現価を算定すると、別表2の2のとおり、その合計額は金二三一万三四九八円(一円未満切捨)となる。
(4) 諸雑費 金四三万二七二八円
原告英治は、その入、通院治療のため、昭和四七年三月三一日までに次のとおり合計金四三万二七二八円の諸費用を支出した。
日用雑貨品購入費 金八万一〇六二円
栄養補給費 金二〇万〇四八八円
交通費 金六万六一三〇円
通信費 金九〇円
看護婦、付添婦等に対する謝礼 金七万九五一八円
文化費 金五四四〇円
(5) 慰藉料
原告英治は、前記傷害及び後遺障害を被り、なかでも右大腿下三分の一以下を切断した結果、身体の運動機能が著しく低下し、日常の起居、動作に多大の不便が生じ、生涯義足の装着を余儀なくされ、その点検、修理及び義足装着のため診療を受けなければならず、また、進学、就職、結婚等にも重大な不利益を被ることとなり、これによる同原告の精神的苦痛は測り知れないものであるから、右同原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金八〇〇万円が相当である。
(二) 原告春雄、同三千子の慰藉料 各金二〇〇万円
原告春雄、同三千子は、原告英治の実父母であり、長男である利発な同原告の将来を楽しみにし、一家の希望を託していたものであるが、同原告が右大腿部切断という重大な後遺障害を被るに至り、その間信頼し最善の治療を乞い求めていた医師にもその信頼を裏切られて甚だしい精神的苦痛を被つたうえ、将来とも身体障害者となつた原告英治を思うにつけ不安と心痛に悩み続けるものであつて、その被つた精神的苦痛は極めて大きく、原告英治が生命を害された場合にも比肩すべきもので、この精神的苦痛に対する慰藉料は各金二〇〇万円が相当である。
(三) 損害のてん補
原告英治は、昭和四五年五月一〇日、加害車輛に付されていた自動車損害賠償責任保険から保険金として金三四三万円の支払を受け、これを前記逸失利益の損害に充当し、日産サニー城南販売から本件交通事故による損害賠償として金三六万円の支払を受け、これを前記諸雑費の損害に充当した。したがつて、右各損害てん補後の原告英治の損害額は合計金六〇四六万三二〇四円となる。
(四) 弁護士費用 金六七五万円
原告らは、従前の原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の提起、追行を委任することを余儀なくされ、原告春雄において、着手金として金七五万円を支払つたほか、報酬として金六〇〇万円を支払うことを約し、同原告は合計金六七五万円の損害を被つた。
5 結論
よつて、原告らは、被告らに対し、連帯して、原告英治において損害賠償金六〇四六万三二〇四円及びこれに対する本件各不法行為の日ののちである昭和五四年三月二四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告春雄において損害賠償金八七五万円及び内慰藉料金二〇〇万円と弁護士に対する着手金七五万円の合計金二七五万円に対する本件不法行為の日ののちである昭和四七年四月一日から、内弁護士報酬金六〇〇万円に対する本判決言渡の日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告三千子において損害賠償金二〇〇万円及びこれに対する本件各不法行為ののちである昭和四七年四月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。
二請求原因に対する被告俊夫及び同秀夫の認否
1 請求原因1の事実中、原告ら主張の日時、場所において原告ら主張の加害車輛が原告英治に衝突して同原告が傷害を負つたことは認めるが、事故の態様は否認する。
本件交通事故は、被告俊夫が加害車輛を運転して、直線で見通しが良く最高速度が時速四〇キロメートルに規制されている本件道路を北から南へ向かつて進行し、事故現場の約三〇メートル手前にある横断歩道の直前で一旦停止したのち発進し、事故現場付近が住宅、工場等が密集し子供等の多い場所であることを考慮して、前方及び付近に対する注意を尽しつつ、ことさら道路中央部分を時速約二〇キロメートルの低速度で進行中、加害車輛からは見通すことのできない進行方向左側にある駐車場内で友人らと遊んでいた原告英治が、友人から逃げるため、左右の安全を確認しないまま右駐車場の出入口から本件道路の中央方向に向かつて駆足で加害車輛の直前に飛び出し、同車の前部左角下フェンダー付近に衝突してきたため発生したもので、同原告の自傷行為ともいうべき事故であり、被告俊夫としては、同原告を発見すると同時に急制動及び右転把の措置をとつたものの、あまりに突然かつ至近距離に同原告が飛び出してきたため、同原告との衝突を回避することができなかつたものであつて、信頼の原則に照らし、予見可能性も結果回避可能性も全くない不可抗力による事故であるから、同被告には過失がない。
2(一) 同2(一)の事実中、原告英治が傷害を負つたことは認めるがその部位、程度は不知。
(二)(1) 同(二)(1)の事実は認める。
(2) 同(2)の事実中、原告英治が坂口病院に転院したことは認めるがその余は不知。
(3) 同(3)の事実中、原告英治が東京逓信病院に転院し、同病院で右下肢の切断の手術を受けたことは認めるが、その余は不知。
(三) 同(三)の事実中、原告英治に右大腿下三分の一以下切断の後遺障害が存することは認めるが、その余は不知。
3(一) 同3(一)の事実中、被告俊夫が自動車運転免許の効力停止中であつたことは認めるが、その余は否認し、その責任は争う。
(二) 同(二)の事実中、被告秀夫が戸越病院を経営する開業医であることは認めるが、その余は否認し、その責任は争う。
被告俊夫が被告秀夫の経営する病院のため自動車運転の業務に従事していた事実はなく、また、本件交通事故は、自動車購入の意向を持つていた被告俊夫の母の許へ日産サニー城南販売の社員平島がカタログを持参するため加害車輛を運転してきた際、被告俊夫が勧められるままに加害車輛を試乗運転中発生したものであるから、被告秀夫は、民法七一五条一項の責任を負ういわれはない。
(三) 同(三)の事実は不知。
(四) 同(四)の事実は不知。
(五) 同(五)の主張は争う。
4(一) 同4(一)の各事実はいずれも不知、損害額の主張は争う。
(二) 同(二)の事実は不知、損害額の主張は争う。
(三) 同(三)の事実中、その主張のとおりの金員が支払われたことは認めるが、充当関係及び損害額の主張は争う。
(四) 同(四)の弁護士費用の請求は争う。
5 同5の主張は争う。
三請求原因に対する被告会社の認否
1 請求原因1の事実中、原告ら主張の日時、場所において、原告ら主張の加害車輛が原告英治に衝突して同原告が傷害を負つたことは認めるが、事故の態様は否認する。
本件交通事故の態様は、前記二1のとおりである。
2(一) 同2(一)の事実中、原告英治が傷害を負つたことは認めるが、その部位、程度は不知。
(二)(1) 同(二)(1)の事実中、原告英治がその主張の日に宮川医院に搬入されて入院したことは認めるが、その余は不知。
(2) 同(2)の事実中、原告英治が原告ら主張の日に坂口病院に転院したことは認めるが、その余は不知。
(3) 同(3)の事実中、原告英治が東京逓信病院に転院し、同病院で右下肢切断の手術を受けたことは認めるが、その余は不知。
(三) 同(三)の事実中、原告英治に右大腿下三分の一以下切断の後遺障害が存することは認めるが、その余は不知。
3(一) 同3(一)の事実中、本件交通事故の態様及び被告俊夫の過失は否認し、その余は不知。
(二) 同(二)の事実は不知。
(三) 同(三)の事実中、日産サニー城南販売が本件交通事故当時加害車輛を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であること並びに原告ら主張のとおりの合併及び商号変更の登記がなされたことは認めるが、被告会社の責任は争う。
(四) 同(四)の事実は不知。
(五) 同(五)の主張は争う。
4(一) 同4(一)の各事実はいずれも不知、損害額の主張は争う。
(二) 同二の事実は不知、損害額の主張は争う。
(三) 同(三)の事実中、その主張のとおりの金員が支払われたことは認めるが、充当関係及び損害額の主張は争う。
(四) 同(四)の弁護士費用の請求は争う。
5 同5の主張は争う。
四請求原因に対する被告坂口の認否
1 請求原因1の事実は不知。
2(一) 同2(一)の事実は認める。
(二)(1) 同(二)(1)の事実中、宮川医師の診断内容は否認し、その余の事実は認める。
(2) 同(2)の事実中、原告英治が昭和四五年一二月二三日に救急車で坂口病院に搬入されて転院したこと(但し、来院の時刻は午後四時ころである。)、被告坂口が同原告の転院についてあらかじめ承諾していたこと(但し、右の前日の同月二二日に転院する約束になつていたものである。)、同月二三日宮川医師から転院についての連絡があつたこと、原告英治が医師の診察を受けることなく病室に収容されたこと、同日内川医師が看護婦とともに原告英治の右下肢に絆創膏牽引を施したこと(但し、その時刻は午後六時三〇分ころである。)、同夜被告坂口がはじめて同原告を診察したこと(但し、その時刻は午後八時ころである。)、その後も翌二四日の夜まで同原告の右下肢の牽引が継続されたこと、右二四日の午後、同原告の趾先にチアノーゼが現れたこと、以後夜半まで砂のうの位置等の変更等の措置が行なわれたこと、翌二五日午後被告坂口らによつて同原告の骨折部位の整復手術が行なわれ、手術後患部にギプス固定が施されたこと、右手術後一時的にチアノーゼが消失したが、その後再びチアノーゼが出現し、次第に右下肢の壊死が進行したことは認め、その余の事実は否認する。
(3) 同(3)の事実中、原告英治が東京逓信病院に転院したことは認めるが、その余の事実は不知。
(三) 同(三)の事実中、原告英治に右大腿下三分の一以下切断の後遺障害があり、右障害が等級表第四級五号に該当することは認め、その余は不知。
3(一) 同3(一)の事実は不知。
(二) 同(二)の事実は不知。
(三) 同(三)の事実は不知。
(四)(1) 同(四)(1)のうち、被告坂口が整形外科を専門とする医師である事実は認め、その余の主張は争う。
(2) 同(2)の事実中、被告坂口が原告英治の入院前に被告秀夫から同原告の骨折部位のエックス線写真を受領してその傷害が重大でしかも血行障害のおそれのあるものであることを了知していたこと、被告坂口が内川医師の使用者であることは認め、その余の事実は否認し、被告坂口の責任は争う。
(3) 以下のとおり、被告坂口ないし坂口病院における原告英治に対する診療行為には何ら過失がないから、被告坂口は民法七〇九条、同法七一五条及び同法四一五条の責任を負わない。
(イ) 被告坂口が被告秀夫に依頼されて転院を承諾したのは、昭和四五年一二月二一日午後九時頃であり、約束ではその翌日である同月二二日に転院することとなつていたため、被告坂口は坂口病院で他の医師らと三名で待機していたが、被告秀夫、宮川医師から何の連絡もなく、転院もないので他の病院に転院したものと考えていた。
しかるに、その翌日である同月二三日午後四時頃、突然宮川医院から連絡があるのと前後して救急車により原告英治が坂口病院に来院した。当日は被告坂口は休診日で不在であり、日直の内川医師が診療に当つていたが、同医師は、その時他の患者の手術中であり、原告英治の患肢がすでに副子固定の手当を受けていたため、手術終了後診察することとして病室に収容するよう命じ、外来診察終了後の同日午後六時半ころ看護婦とともに同原告を診察した結果、同原告の右下腿の浮腫、腫脹、多少の冷感、骨折部の腫脹、圧痛を認め、直ちにブラウン副子、砂のうを利用して膝関節屈曲位による絆創膏牽引を看護婦とともに施した。なお、牽引重量は二ないし2.5キログラムであつた。
同日午後八時ころ、被告坂口は、看護婦からの連絡により直ちに原告英治を診察したが、その際、原告英治の右下腿は既に冷たい感じで、皮膚は蒼白に見え、浮腫と腫脹があり、骨折部(膝関節部)は極度に腫脹し膝窩部の挫創からはかなりの分泌物の漏出を認め患部の疼痛の訴えも強かつたため、注射及び内服等の指示を行なつた。被告坂口は、翌二四日午前一時三〇分ころ再び原告英治を診察したが、所見は改善されず、牽引重量を減じ肢位を多少変更するなどの処置を講じ、屈曲位で牽引することは同原告の疾患に適切な処置であるので看護婦に対しこのまましばらく牽引を継続するよう指示した。被告坂口は、同日午前中にも医薬の注射をおこない、腫脹の減退に努めたが、午後より趾先にチアノーゼが出現しはじめたので、以後同日夜半に至るまでの間三ないし四回回診して肢位の変換、砂のうの除去あるいは貼入、牽引の除去、副子の除去等種々の方法を試み症状の改善に努力したが、その都度チアノーゼの消失、冷感の恢復を僅かに認める程度で、数時間後には再びチアノーゼが出現するという状態であつた。
このような状態から、被告坂口は同日午後原告英治の下腿の壊死の危険を家族に告げるとともに、被告秀夫及び宮川医師にもその旨を報告し、早朝に骨折整復術を観血的におこなう必要を主張した。そして、被告坂口は、原告英治の家族にも手術をすることの同意を得たうえ、翌二五日午後、被告秀夫、宮川医師立会のもとに、骨端離開部を整復してキルシュナー綱線にて固定するという一般的な手術法による大腿骨末端離開整復術を観血的に施行し、その際、事故直後宮川医師から縫合を受けた膝窩部挫創が膝窩部深く骨付近に達していることを確認したが、動脈・神経の損傷は切開部位からは確認できなかつた。
右手術は、静脈切開輸血、全身麻酔下に、麻酔医一名、整形外科医である長束医師と被告坂口との三名で行ない、術後はギブス固定を施したが、術後ギブスを巻く前に足趾のチアノーゼが消失したことから手術は成功したと立会医師と共に喜んだものの、術後三日目ころから再びチアノーゼが足趾より発現増悪し始め、四日目ころには膝窩部挫創が化膿したため、被告坂口は、有窓ギブスとして局所の治療に努めたが、一向に良好に向わず、チアノーゼはその後次第に黒色化し壊死となつて下腿にまで進行したので、もはや復の希望もなく、術後二〇日目ころより原告英治の家族と切断の時期について相談し、切断部位については、下腿の膝関節よりの一部の皮膚が生存しているため、できるだけ下腿上方で切断し、膝関節を助けたい希望をもつていたところ、昭和四六年一月二〇日突然原告らが東京逓信病院に転院する旨申し出たので、被告坂口はこれを承諾し、経過報告書を作成してこれを原告らに交付したうえ転院させたものである。
(ロ) ところで、大腿骨遠位骨端離開で膝窩部動脈・神経の圧迫又は損傷が合併することは、少ないことではあるが存在する。このような合併をおこした場合の治療法には二種類あり、その一つは、下腿牽引を行なつて、骨折部の転位を整復又は改善する位置にもつて行き動脈・神経の圧迫を取り除くことが出来るかどうかを見ることである。
原告英治の場合、膝窩部に長さ一〇センチメートル以上に達する化膿しかかつた大きな挫創がある等のため整復手術を早期に行えない状況にあつたから、このような場合、牽引療法をまず施行するのが常道であり、その方法も、右の挫創からみて、綱線牽引は化膿を助長するおそれがあるため不適切であつて、絆創膏牽引の方法による以外になく、しかも、被告坂口は、絆創膏牽引をしてそのまま放置していたのではなく、右のとおり、しばしば肢位の変換や牽引の重量を変更したり、砂のうの部位を変えたりして症状改善に可能な限りの努力をした。したがつて、坂口病院における絆創膏牽引の施行及びその方法には誤りはない。
そして、右のような合併を起こした場合の治療方法の第二は骨折部の整復手術、すなわち手術により骨折端部を整復し圧迫を取り除く方法である。原告英治のように右のような挫創があり開放骨折の場合、いたずらに手術を行なえば手術部が化膿し、ついには骨髄炎を発症するおそれがあるため、数日間牽引して開放創部の化膿がないことを確認したうえ手術を行うのが本来であるが、原告英治の場合は、牽引中循環障害の悪化の傾向を示し、放置すれば切断の危険が生じたため、直ちに手術を施行したのであつて、これまた適切な治療法である。
なお、動脈損傷そのものを手術的に治療する方法は本件当時一般には行われておらず、それが可能な医師・病院は我国には殆んど存在しないのが実情である。
(ハ) 以上のとおり、原告英治に対し被告坂口及び内川医師、看護婦らがした牽引と手術の措置は、いずれも治療として最良の方法であり、右治療によつても同原告の循環障害が治癒せず、ついには壊死に至つたのは、本件交通事故による外傷自体で動脈・神経損傷を来たしていたか、あるいは骨折部、挫創部の極度の腫脹による動脈圧迫(ただ、被告坂口は軟部組織の腫脹に対し適切な投薬治療を施している。)によつてすでに受傷後一両日中に循環障害が発生しはじめ、坂口病院における治療にかかわらず次第に悪化したことによるものと考えられる。
(五) 同(五)の主張は争う。
4(一) 同4(一)の各事実中、原告英治の年齢は認め、その余の事実はいずれも不知。
(二) 同(二)の事実は不知。
(三) 同(三)の事実は不知。
(四) 同(四)の事実は不知。
5 同5の主張は争う。
五抗弁
1 被告会社の免責の抗弁
本件交通事故は、前記二1、三1のとおりの態様で発生したもので、原告英治の一方的な過失により発生したものであり、加害車輛の運転者である被告俊夫及び保有者である日産サニー城南販売にはその運行に関し注意を怠つた点はなく、また、加害車輛には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたものである。
したがつて、日産サニー城南販売は自賠法三条但書の規定により免責され、被告会社もまた責任を負わない。
2 被告俊夫、同秀夫及び被告会社の過失相殺の抗弁
仮に、右被告三名の責任が認められるとしても、右のとおり、原告英治には、本件交通事故の発生につき重大な過失があるので、これを損害額の算定につぎ斟酌し、大幅な過失相殺がなされるべきである。
六抗弁に対する認否
免責及び過失相殺の主張はいずれも争う。
第三 証拠《省略》
理由
一まず、本件交通事故の発生とその態様について判断する。
1請求原因1の事実中、原告ら主張の日時、場所において加害車輛が原告英治に衝突して同原告が傷害を負つたことは、原告らと被告俊夫、同秀夫及び被告会社との間において争いがなく、〈証拠〉によれば、原告ら主張の日時場所において加害車輛が原告英治(昭和三七年一〇月二四日生れ)に衝突して同原告が原告ら主張のような傷害を負つたことを認めることができ、この認定に反する証拠はない。
2そこで、本件交通事故の態様について判断する。
〈証拠〉を総合すれば、
(一) 本件道路は、中央線がなく、歩車道の区別のない幅員約5.95メートルの道路で、アスファルトによつて、舗装され、最高速度が時速四〇キロメートルに規制されており、本件交通事故現場付近は直線で道路自体に対する見通しは良く、本件交通事故当時は晴天で路面が乾燥していたこと、
(二) 本件交通事故現場の付近は、住宅、工場などが密集した市街地で、本件道路付近は子供の遊び場にもなつており、子供等の本件道路への飛び出しも予想しうる状況であつたこと、
(三) 被告俊夫は、加害車輛を運転し、平島を助手席に同乗させて、本件道路を北から南へ向かつて進行し、本件交通事故現場の手前約三〇メートルの地点にある横断歩道の直前で一時停止したのち発進し、時速約二〇キロメートルの速度で道路の中央付近を進行して本件交通事故現場手前にさしかかつたこと、
(四) 一方、原告英治は、本件交通事故の直前、本件道路の東側(加害車輛進行方向の左側)にある無蓋駐車場内で友人ら数名と「悪漢探偵ごつこ」と称する遊戯に熱中していたところ、同原告は、追つてくる友人に捕まらないように逃げるため右駐車場の本件道路に面する出入口の方へ駆足で向かい、右出入口のところで停止しようとしたものの、勢いがついていたため止まれず、本件道路の中央付近まで駆け出していつて一旦停止し、右駐車場の方へ戻るべく、右足を軸にして身体を右方向に約一八〇度回転させた際、加害車輛が進行してくるのを発見したが既に身体がほぼ駐車場の方に向いていたため、同駐車場方向に駆け足で戻るべく、まず左足を前に踏み出し、次いで、徐々に同車の進行方向に逃げる方向を変えながら、右足、左足と順次踏み出して、身体が前傾し右足が後方に伸びやや外側に捩るような位置になつたところへ、加害車輛の前部左側フェンダー下部付近が同原告の背後からその右下肢膝窩上方部(大腿下部)に衝突したこと、
(五) 右衝突後加害車輛は、同車前部が衝突地点の約三メートル前方となる位置付近に停止し、原告英治が同車の左側に転倒したこと、
(六) 本件交通事故当日警察官によつて行われた実況見分の際、加害車輛の前部バンパー左角下フェンダー付近に原告英治との接触痕と解される長さ約一〇センチメートル、深さ約二センチメートルの凹損が認められたこと、
(七)原告英治は、本件交通事故により、右膝の後部ないし右後部を横走する長さ約十数センチメートルの右膝窩部裂傷、右大腿骨開放性遠位骨端線離開兼骨折、右踵部挫傷、頭部外傷の傷害を負つたこと(この事実は、原告らと被告坂口との間においては争いがない。)、
(八) 渡辺正毅医師及び慶応義塾大学病院医師泉田重雄は、右(七)の原告英治の骨折は、右膝付近が前方から衝撃を受けて膝関節が過度に伸展した場合に生じる可能性が高いが、場合によつては、右足の踵部分が固定された状態で右膝の後面付近に衝撃を受けた場合にも生じうるものである旨判断しており、更に右渡辺正毅医師は、原告英治の右下肢の骨折部のエックス線写真、同原告の右膝窩上方部に横走する縫合痕から判断して、同原告は前傾姿勢で疾走中、左下肢を前に出し右下肢が後方に膝伸展位で残つたとき、その右下肢の膝窩上方部(大腿下部)を右後方から強打されたため、前示の骨折を被つたものと推定していること、
(九) 加害車輛の助手席に同乗していた平島は、原告英治が左側の駐車場の中から本件道路の中央付近まで飛び出してきて平島の目の前を通りすぎたようになり、更に左の方に横に倒れていくのを目撃していること、
以上の事実が認められる。
右認定の点について、被告俊夫、同秀夫及び被告会社は、原告英治が前示の駐車場出入口から、進行中の加害車輛の直前に突然駆足で飛び出してきて、そのまま同車の左前部に衝突したものである旨主張するが、仮に、原告英治が駐車場から飛び出してそのまま加害車輛の左前部に衝突したものとすると、平島の前示の目撃内容と矛盾することになるとみられるばかりでなく、その場合、右加害車輛の衝突部位及び原告英治の走行の勢いからみて同原告は同車の前方に転倒する可能性が高く、また右膝付近に裂傷等を負うことがあるとしても、膝の前面付近に負う可能性が高いものと思料されるところ、同原告は同車の左側に転倒しており、また右膝の前示裂傷は膝の後面ないし右後面に生じていることは前示のとおりであること等に照らすと、前記主張に沿う被告俊夫本人の供述部分は、軽々に措信することができず、他に右認定を覆えすに足りる確たる証拠はない。
二次に、原告英治の受傷内容、治療経過及び後遺障害について判断する。
1受傷内容
原告英治が本件交通事故により、右膝窩部裂傷、右大腿骨開放性遠位骨端線離開兼骨折、右踵部挫傷、頭部外傷の傷害を負つたことは前示のとおりである。
2治療経過
(一) 原告英治が昭和四五年一二月二一日(本件交通事故当日)宮川医院に搬入されて入院したことはいずれの当事者間においても争いがなく、〈証拠〉によれば、原告英治は、宮川医院の院長で一般外科医である宮川医師により右膝窩部創の約一三針の縫合、右大腿・頭蓋のエックス線写真撮影、右下肢副木固定・包帯、及び患部の診察等の処置を受けたが、同原告は、骨折部の手術の必要があつたため、被告俊夫の父である被告秀夫(戸越病院院長で一般外科医)及び宮川医師の紹介で整形外科を専門とする医師である被告坂口の診察、治療を受けるため同被告の経営する坂口病院に転院することとなつたこと(以上の事実は、原告らと被告俊夫、同秀夫、同坂口との間において争いがない。)、宮川医院入院中は、原告英治の右下肢には血行障害の徴候は現われなかつたこと、が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(二) 〈証拠〉を総合すると、原告英治は、昭和四五年一二月二三日午後三時過ぎころ救急車で坂口病院に搬入されて転院したこと(この事実は、転院の時刻を除き、当事者間に争いがない。)、右転院については、あらかじめ被告坂口の承諾があり、また、同被告は原告英治の入院前に被告秀夫から同原告の骨折部位のエックス線写真を受領してその傷害が重大で血行障害のおそれのあるものであることを了知しており、しかも同日宮川医師から同病院の看護婦に連絡のうえ原告英治が転院してきた(この事実は原告らと被告坂口との間において争いがない。)にもかかわらず、同病院では、右転院後医師が原告英治を診察しないまま病室に収容し(この事実は原告らと被告坂口との間において争いがない。)、その後、看護婦数名が同原告をベッド上に寝かせたうえ、右下肢の下に砂のうを二段位積み重ねたこと、同日午後四時ころ、原告三千子が同病院の受付に対し医師である被告坂口に診察して欲しい旨申し出たが不在であるとして断わられ、結局原告英治は同日午後七時ころまで医師の診察を受けることができなかつたこと、同日午後七時ころ、整形外科を専門とする内川医師(被告坂口の被用者で坂口病院の勤務医)と看護婦伊良部節子は、原告英治の病室に来室して同原告を診察したが、その際、同原告の右下肢は非常に腫脹が強かつたものの、血行障害の徴候は現われていなかつたこと、そこで、内川医師と右看護婦は、宮川医院で施された同原告の右下肢の包帯と副木をはずし、右下肢に牽引用の絆創膏を貼り付けて退室したので、同原告の患部は露出されたまま放置されていたが、約三〇分経過したのち、右看護婦がブラウン架台と称する牽引台を持つて現われ、原告英治の右下肢の患部に包帯を巻き、右牽引台の上に右下肢を乗せ、右下肢に貼付した絆創膏にロープをつけて足先の方向に右足全体を牽引する処置を行なつたほか、痛み止めの注射を施したこと(右事実中、内川医師と看護婦において絆創膏牽引を施したことは原告らと被告坂口との間において争いがない。)、ところが、同日午後八時前ころ、原告三千子は、原告英治の右足の露出部分を見たところ、同部分に紫色の班点が現われており、また同部分を手で触れてみると冷たくなつていたので驚き、直ちに右の看護婦を病室に呼んで原告英治の右の症状を告げるとともに医師の診察を求めたが、右看護婦は退室したまま何らの連絡もとらず、約二〇分経過したのみ、ようやく別の看護婦が来室し牽引を中断して包帯をはずしたので、原告英治の右下肢は直ちに血色を取り戻したこと、右看護婦はすぐに伸縮性のある包帯に替えて巻き直し、前と同様に牽引を施したこと、原告三千子らが同病院を辞去したのちの同日午後九時ころ、被告坂口は、はじめて原告英治を診察したところ、原告英治は激しい痛みを訴え、右下肢が異常に腫れていたことに気づいたが、既に右足が架台に乗せられ絆創膏牽引が施されていたので、同原告の右下肢の牽引を引き続き行なうこととし、特別の措置をとらなかつたこと(右事実中、同日の夜被告坂口が原告英治をはじめて診察し、絆創膏牽引を引き続き行なつたことは診察時刻の点を除き原告らと被告坂口との間において争いがない。)、内川医師は、自己のなした右診療行為についてカルテに記載するなどして被告坂口に引き継がず、また右の看護婦らも原告英治の右のような症状の推移について被告坂口、内川医師らに報告をしなかつたこと、翌二四日、坂口病院において、原告英治の右下肢のエックス線写真撮影がなされたこと、被告坂口は、同日午後原告英治の右下肢を診察したところ、右足の親指が少し紫色に変色してチアノーゼが現われていたので以後数回にわたり砂のうの位置を変化させたり牽引重量を減ずるなどの措置をとつたが、牽引は治療上必要と認め同日の夜まで続けたこと(この事実は、原告らと被告坂口との間において争いがない。)、翌二五日午前一〇時ころ、原告英治の右足のチアノーゼは更に増悪し、膝部が化膿して分泌物も出ていたので、被告坂口は、同日午後原告英治の右足の膝の外側に縦にメスを入れ、組織の癒着を剥がして骨端部を整復するという手術を行ない、患部をギブスで固定したこと(被告坂口が原告英治の骨折部位の整復手術を行ない患部をギブスで固定したことは原告らと被告坂口との間において争いがない。)、右手術直後一時的にチアノーゼが消失したが、間もなく動脈の血栓増殖ないし血流障害によるとみられるチアノーゼが現われ(この事実は、原告らと被告坂口との間において争いがない。)、その後それが増悪し、右手術の数日後には、同原告の右下肢が黒く変色して壊死状態になり、右下肢を切断する以外に有効な治療方法がない事態に陥つた(この事実は、原告らと被告坂口との間において争いがない。)が、被告坂口としては、そのことをしばらく原告英治の両親に打ち明けることもできず、その善後策を思案しながら、そのまま放置していたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる確実な証拠はない。
(三) 〈証拠〉を総合すれば、原告英治は、昭和四六年一月二〇日、坂口病院から東京逓信病院の整形外科に転院し、整形外科部長の渡辺正毅医師の診療を受けたが(原告英治が東京逓信病院に転院したことは当事者間に争いがない。)、そのとき原告英治の右下肢は中央付近から足先まで黒く変色して壊死に陥つていて既に右下肢を切断することが余儀ない状態に至つていたこと、そこで、渡辺正毅医師は、どの部位から切断すべきかについて逡巡したが、翌二一日行なつた原告英治の右大腿動脈の血管撮影検査の結果、右膝窩動脈が骨端線離開部において閉塞し、膝の裏まで筋肉が腐敗していることが判明したので、渡辺正毅医師は、膝下切断が困難であると判断し、同月二五日、同病院において、原告英治の大腿骨中下三分の一境界部での右下肢切断手術を行なつたこと(原告英治が同病院で右下肢切断の手術を受けたことは原告らと被告俊夫、同秀夫及び被告会社との間で争いがない。)、原告英治は、右手術後順調な経過をたどり、同年二月一五日には手術創が治癒したので、同年三月一九日から仮義足をつけての歩行練習を行ない、同年四月一九日東京逓信病院から東京身体障害者福祉センターに転院して義足による歩行訓練を受け、同年五月二九日、同センターを退院して家庭に戻り、同月三一日から在学中の小学校に復学したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
3後遺障害
(一) 右大腿下三分の一以下切断
原告英治に、右大腿下三分の一以下切断の後遺障害があることはいずれの当事者間においても争いがないところ、右事実によれば、右障害は、等級表第四級五号所定の後遺障害に該当するものと認められ(このことは原告らと被告坂口との間で争いがない。)、また、前認定の治療経過に照らすと、原告英治の右障害は、東京身体障害者福祉センターを退院した昭和四六年五月二九日をもつて症状が固定したものと認めるのが相当である。
なお〈証拠〉によれば、原告英治の右障害は、成長層である遠位骨端線を亡失しているため、同原告の成長に伴つて短断端となる可能性があり、その場合には、義足の安定性が悪く、その装着、使用に困難を伴なうものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 脳波の異常
原告らは、原告英治は本件交通事故による頭部打撲の結果脳波異常の障害を被り、痙攣発作の可能性があるため、内服薬による治療等を要する旨主張するところ、〈証拠〉によれば、原告英治は、坂口病院に入院中、頭痛を訴え脳波検査の指示を受けたことがあつたため、昭和四六年二月一六日、東京逓信病院において原告英治の脳波の検査を施行したところ、同原告の脳波には痙攣の起る可能性のある異常所見が認められたため、内服薬を投与しているが、原告英治の本件交通事故以前の脳波の所見がないため、原告英治の本件交通事故前後の脳波を比較することができないうえ、右の脳波異常は神経学的には異常がなく、現実には一度も発作を起こしたことがないから、専門医でも右の脳波異常が本件交通事事故によつて発生したものと明確に診断することはできないことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右の事実によれば、いまだ原告英治の脳波の異常が本件交通事故によつて発生したものとは認め難いところであり、他に右事実を認めるに足りる確実な証拠はない。
三進んで被告らの責任について判断する。
1被告俊夫の責任
本件交通事故の態様は前認定のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、原告春雄が、従前の原告ら訴訟代理人渡邊良夫立会のうえ、昭和四八年ころ、本件交通事故当時の原告英治の年齢(八歳一か月)とほぼ同年齢の子供を使つて、本件交通事故現場の前示の駐車場出入口から本件道路中央付近まで駆け出て身体を反転させ原告英治と加害車輛との衝突地点付近に至るまでの所用時間をストップウォッチを使用して計測する実験を行なつた結果、その所用時間はおよそ二ないし三秒(平均約2.5秒)程度であつたこと、本件交通事故当時原告英治は身長が約一二〇センチメートルで、足の速さは同年齢の子供と比較して普通位であつたこと、本件交通事故当時本件道路の中央付近を進行していた加害車輛の運転席からは、前示の駐車場の内部は塀に妨げられて見通すことができないものの、衝突地点の手前約11.85メートルの地点で右駐車場の出入口の中央付近を見通すことができること、が認められ(右認定に反する証拠はない。)、右認定事実に、本件交通事故当時加害車輛の進行速度が時速約二〇キロメートル(秒速約5.56メートル)であつたこと等を総合勘案すると、被告俊夫は、前方を十分注視して進行したとすれば、遅くとも、原告英治との衝突の約二秒前に、かつ衝突地点の手前約11.12メートルの地点で駐車場出入口から駆け出してきた原告英治を発見できたはずであることを推認することができ、この推認を覆えすに足りる証拠はないから、急制動の措置をとることにより本件交通事故の発生を未然に回避することができたものというべく、被告俊夫には、本件交通事故の発生につき、前方不注視の過失があつたものと判断するのが相当である。
したがつて、被告俊夫には、民法七〇九条の規定に基づき、本件交通事故によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任があるものというべきである(なお、本件全証拠によつても、被告俊夫が故意に加害車輛を原告英治に衝突させた事実を認めるに足りない。)。
2被告秀夫の責任
〈証拠〉によれば、被告秀夫は、開業医で本件交通事故当時戸越病院を経営していたこと(この事実は、原告らと被告俊夫、同秀夫との間で争いがない。)、被告秀夫の長男である被告俊夫は、その当時、いわゆる大学受験浪人中であつたが、既に大学受験を断念し、将来自動車レーサーになるための勉強をしていたこと、被告秀夫は、平素、往診の際、自己の自動車を自ら運転していたが、年に数回程度往診の際、被告俊夫に自動車を運転させたほか、右病院の金銭の出納のため事務員が取引銀行へ赴く際、月に一回程度被告俊夫に自動車を運転させ、また時にはエックス線写真の現像の手伝いをさせていたこと、しかしながら、被告俊夫は、右病院の職員として継続して使用されていたものではなく、被告秀夫から小遣いを貰うことはあつたものの給与の支給を受けたことはなかつたこと、また、被告秀夫の家では、本件交通事故当時、ベンツ、グロリア、ブルーバードの三台の自動車を所有していたが、主として被告秀夫がベソツを、被告俊夫がグロリアを、被告秀夫の妻森田清子がブルーバードを使用していたこと、被告俊夫と右清子との間ではかねてから右ブルーバードの買い替えの話が出ていたところ、本件交通事故当日、被告俊夫の知人で日産サニー城南販売の従業員である平島が被告俊夫方へ自動車のカタログを持参するとともに、下見をさせるため販売用の新車である加害車輛(日産サニー)を運転してきたので、被告俊夫がその試乗及び構造の点検のため同車を運転中本件交通事故を惹起したものであること、被告秀夫は、当時右のベンツを買い替える予定はなく、また右のブルーバードの買い替えの話も知らなかつたこと、が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右認定の事実関係のもとにおいては、被告秀夫は、被告俊夫の使用者であるとはいえず、また、被告俊夫の加害車輛の運転は、行為の外観上、被告秀夫の業務の執行についてされたとも認め難いといわざるをえない。
したがつて、被告秀夫は、民法七一五条一項の規定に基づき本件交通事故について損害賠償責任を負ういわれはないものというほかない。
3被告会社の責任
日産サニー城南販売が本件交通事故当時、加害車輛を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であること、同日産サニー城南販売は、昭和四九年一二月二日日産サニー共立販売株式会社に合併され、更に同会社は、同日その商号を「日産サニー新東京販売株式会社」(被告会社)に変更する旨の登記を了したことは、原告らと被告会社との間に争いがない。そして、被告俊夫に加害車輛の運転上の過失がなかつたと認められないことは前示のとおりであるから被告会社の免責の抗弁は理由がない。
したがつて、日産サニー城南販売が自賠法三条の規定に基づき本件交通事故によつて原告らが被つた損害を賠償すべき義務を負い、被告会社において右義務を承継したことが明らかであるから、被告会社は、本件交通事故により原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある。
4被告坂口の責任
(一) 〈証拠〉を総合すると、一般に原告英治のような大腿骨遠位骨端線部の骨折の場合、膝窩動脈が、骨折時の外傷あるいはこれに伴なう患部の腫脹によつて損傷ないし圧迫を受けるおそれがあり、また、大腿骨の下端部によりあるいは大腿骨の骨折片が腓腹筋の収縮力により後方に転位してこの骨折片により膝窩動脈が損傷、圧迫を受けるおそれが高いこと、膝窩動脈は膝関節の後方付近の動脈としては一本しか存在せず、この動脈の損傷、圧迫により早い場合にはおよそ二時間程度の短時間で下肢が血行障害により壊死に陥る危険があること、右のような骨折の治療方法として牽引を施すこと及び牽引方法として絆創膏牽引の方法を採用することは適切な措置となりうるものであるものの、膝関節伸展位で牽引した場合、大腿骨下端部又は骨折のため遊離した骨折片に圧迫されて膝窩動脈が損傷しあるいは血流が阻害されて膝窩動脈の当該部分に血栓が生じ、このため動脈の閉塞が生じるおそれが高いことから、牽引を行なう場合には、膝関節を九〇度以内に屈曲させ、かつ膝の前面からギブスを装着するなど屈曲状態を完全に固定する措置を講じたうえ牽引すべきであること、以上のような事項は、整形外科を専門とする医師においては通常認識し、又は認識しているべき事項であること、したがつて、右のような骨折を負つた原告英治の診察、治療を担当した整形外科医である被告坂口及び内川医師としては、骨折のみならず特に血行状態に注目して救急的な治療処置を講ずべきであり、右下肢の牽引を行なうにあたつては、前示のような膝関節を屈曲位に完全に固定する処置をしたうえ牽引を施行するとともに、常時牽引の有効性、血管、神経に対する圧迫、損傷等の症状の発生の有無等をできる限り観察し、もし圧迫等の症状が発生した場合には直ちに牽引を中断して症状を確認しながら肢位その他の牽引方法を修正しあるいは牽引そのものを中止すべきこと、殊に医師が牽引の現場を離れる場合には、牽引部位の痛み、色の変化、冷感、痺れ等の状況を詳しく観察し事態に応じて医師に連絡をとるよう看護婦を指導すべきこと等の注意義務を負つていたものであること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) しかして、〈証拠〉によれば、前記理由二2(二)に判示した坂口病院における原告英治の右下肢の牽引の方法は、膝関節を屈曲位に完全に固定する処置を伴わない不適切なもので、牽引によつて膝関節が伸展するおそれがあるものであることが認められ、右認定を覆えすに足りる確実な証拠はない。
右の事実に前記理由二2(二)の坂口病院における治療経過を総合し、かつ前記(一)に判示した医師の一般的注意義務に鑑みると、被告坂口が原告英治の入院後六時間近くの間自ら診察しなかつた点はさて措くとしても、同被告は、同原告の入院当日の午後九時ころ同原告を診察した際、既に右下肢に牽引がされていることを知り、翌二四日午後には原告英治の右足の親指にチアノーゼが現われていることに気づいたので、その後、患部の観察をしながら血行障害を来たさないよう肢位等を変更する等の措置を講じたものの、大腿骨下端部又は骨折のため遊離した骨折片に圧迫されて膝窩動脈が損傷しあるいは血流が阻害されて膝窩動脈に血栓が生じ、このため動脈の閉塞が生じる虞れがあるにもかかわらず、膝関節の屈曲状態を完全に固定する措置を講じないまま右二四日の夜まで牽引を継続した過失があるというべく、また、内川医師には、原告英治の入院当日の午後七時ころ同原告を診察したうえ、看護婦とともに牽引措置を講じたが、その際、膝関節を屈曲位に完全に固定する措置を講じなかつたのみならず、その後の経過観察を委ねた看護婦に対して患部の血行障害の徴候等について十分な観察を継続するとともに、事態に応じて医師に報告するよう指導しなかつたため、右牽引施行後間もなく発現した原告英治の血行障害の徴候に対して迅速かつ適切な処理ママをとることができなかつた過失があるものといわざるをえない。
(三) ところで、〈証拠〉によれば、原告英治の右下肢の壊死は、右膝窩動脈に血栓が生じ、これにより右の動脈が閉塞したことが原因であるところ、慶応義塾大学病院医師で整形外科を専門とする泉田重雄は、原告英治の右下肢壊死の原因は、もつぱら本件交通事故による外傷にあるとし、右外傷のため同原告の右下肢の膝窩動脈が伸展されて動脈の内膜が損傷し、このため血栓が形成されたものと判断しているが、他方、渡辺正毅医師は、右の点について、原告英治の本件交通事故による外傷ないしこれによる患部の腫脹も膝窩動脈の血栓形成の一原因と考えられるとしながらも、坂口病院における前示の牽引の方法、すなわち、膝関節九〇度以内に屈曲した状態に完全に固定して牽引すべきところ、これをせず、牽引によつて膝関節が伸展しうるような牽引方法を用いたことにより膝窩動脈が大腿骨下端部又は骨折のため遊離した骨折片(第三骨片)に圧迫されて損傷しあるいは血流が阻害された結果、右動脈に血栓が形成されて動脈閉塞に至り壊死に陥つたものと判断し、また、右の壊死にまで至つたことについては、牽引後血行障害の症状が発現したのに対して迅速適切な処置が講じられなかつたことなど坂口病院における医療態勢の不備もまた影響しているものと判断し、更には、もし、坂口病院において適切な診療がなされておれば、膝関節の運動制限や大腿骨の短縮等多少の障害が残ることはありえても大腿部の切断という事態は回避できたであろうと判断していること、また、病理学を専門とする医師である渡辺恒彦は、原告英治の膝窩動脈の閉塞部分の標本を検討したうえ、右動脈部分には右下肢切断の約三週間ないし一か月位前に形成された古い病変と数日ないし一週間位前に形成された新しい病変とが併存し、右の古い病変が生じた原因としては交通事故による外傷自体による膝窩動脈の損傷とその後間もなくの間における右動脈に対する圧迫等との二つの可能性があり、そのどちらが原因であるかあるいは双方が原因であるかを明確に判断することはできないとしていること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右の事実に、前示のとおり、原告英治の右下肢には、宮川医院入院中は血行障害の徴候はみられなかつたが、内川医師及び看護婦が牽引措置をした後間もなく血行障害の徴候が現われており、血行障害の発現時期と坂口病院において牽引を施した時期とが符合していることを併せ考えると、原告英治の右下肢膝窩動脈に血栓が形成されて右動脈が閉塞し、右下肢の壊死に至つた原因は、本件交通事故による右下肢膝窩動脈に対する損傷ないし腫脹による圧迫のほか、坂口病院における前示のような不適当な方法による牽引の施行及び牽引中の同原告に対する観察、対処の不十分にあるものと推認することができ、右確認を覆えすに足りる確実な証拠はない。
そして、もし被告坂口及び内川医師において、前示の注意義務を尽していれば、原告英治は右下肢切断という不幸な事態を免れることができたものと推認することができ、原告英治の右下肢の切断は被告坂口及び内川医師の前記過失に起因するものというべきであるから、被告坂口は、自己の過失による不法行為につき民法七〇九条の規定に基づき、また内川医師の過失による不法行為につき同法七一五条一項の規定に基づき、原告英治の右下肢切断によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任があるものというべきである(なお、被告坂口が、自己の責任を隠蔽するため、原告英治の骨折部に対する手術を行ない、あるいは右手術後、ことさら同原告の右下肢の壊死が進行するのを放置して同原告の生命を危険に晒したと認めるに足りる証拠はない。)。
5被告俊夫、被告会社及び被告
坂口の責任関係
共同行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を加えた場合において、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が違法な加害行為と相当因果関係にある全損害についてその賠償の責に任ずべきであるというべきであるところ(最高裁昭和四三・四・二三第三小法廷判決民集二二巻四号九六四頁参照)、この理は、本件のように交通事故により足の骨折の傷害を受けた被害者が、治療を担当した医師の過失により足を切断せざるをえなくなつたことにより惹起された損害についても、何ら異らないものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、前記三4(三)に設定したところによれば、原告英治は、本件事故により右下肢膝窩動脈に対して損傷を受け、この損傷ないし腫脹による圧迫によつて右動脈が閉塞され、これが右下肢の壊死の一因となつたとみられるほか、被告坂口ないしその被用者である内川医師の不適切な牽引という治療上の過誤もその原因となつているというべきであるから、右交通事故と医療過誤は客観的に密接に関連共同しており、両者はいわゆる共同不法行為の関係にあるものというべく、被告俊夫、被告会社及び被告坂ロは、民法七一九条に基づき原告英治の右大腿部切断により原告らが被つた全損害を賠償すべき責任があるものというべきである。
四損害について判断する。
1原告英治の損害
(一) 逸失利益 金三〇四七万一九九九円
〈証拠〉によれば、原告英治は、小学校に復学したのち、満一二歳で小学校を、満一五歳で中学校を、満一八歳で高等学校を卒業したこと、原告英治は、右高等学校在学中及び卒業後コック見習等の仕事にアルバイト又は正社員として従事したことがあつたが、右大腿下三分の一以下切断の障害があるため機械関係の仕事などは就職を断られたことがあり、満二〇歳である昭和五八年三月時点においては、大学進学の希望を有するとともに、家屋解体業を経営する父原告春雄のもとでアルバイトをし、一か月五ないし六万円の収入を得ていることが認められ、右認定に反する証拠はない。右認定の事実に、原告英治の前示の後遺障害の内容、程度、年齢等の事情を総合すると、原告英治は、右大腿下三分の一以下切断の後遺障害によりその労働能力の七〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。
そうすると、原告英治は、右の障害を被らなければ、満一八歳から満六七歳までの四九年間正常に稼働し、その間、昭和五五年(満一八歳時)から昭和五七年までは当該年度の、昭和五八年以降は昭和五八年度の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者全年齢平均給与額を下らない収入を毎年得られたはずであるところ、右後遺障害によりその労働能力を七〇パーセント喪失したから、右年収を基礎にライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、症状固定時である満八歳の時点における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は金三〇四七万一九九九円(一円未満切捨)となる。
昭55 3,408,800×0.7×0.6139=1,464,863
昭56 3,633,400×0.7×0.5846=1,486,859
白57 3,795,200×0.7×0.5568=1,479,217
昭58以降 3,923,300×0.7×(18.8757−9.3935)=26,041,060
合計 30,471,999
(二) 義足関係費用 金一四三万〇二三五円
〈証拠〉を総合すると、原告英治の義足は、その耐用年数及び同原告の身体の成長に応じて取替を必要とするものであり、同原告は、成長期においては頻繁に義足の取替を必要としたため、昭和五八年三月までに五回(約二年半に一回)義足の取替をしたこと、そして、成長期後においては義足取替の頻度はより少なくて済むものの、耐用年数に照らし、約七年に一回の取替を必要とするから、同原告は、昭和五八年三月以降余命期間中少なくとも合計七回の義足の取替を要すること、また、原告英治の義足は、その使用期間を通じ少なくとも年に一回程度の修理を必要とするものであるところ、同原告は、既に昭和四六年七月三日から昭和四七年一一月一六日の間に修理費用として金一万六五二〇円を支出していること、そして、昭和五八年三月の時点における義足代及び装着費を合わせた義足取替費は一回につき約金二〇万円、修理費は一回につき約金五〇〇〇円であること、もつとも原告英治は、右取替費及び修理費については品川区の援助を受けているので、現実に同原告が支出する金額は取替時における約金一万円程度の金額にとどまつているが、本件訴訟で勝訴した場合においては、右費用について品川区に返還する必要があることから右の取替費及び修理費は全額同原告の出捐にかかるものとみうるものであること、更に、原告英治は、義足の装着に伴ない年に一回右下肢の断端部の定期検査を受けるよう医師から指示されているところ、満一六歳のころまで右定期検査を受け、この費用を支出していること、以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定の義足の取替及び修理の費用、回数等を前提とすれば、原告英治の義足関係費用の損害額の合計は、右に認定した既に要した分及び将来必要とする分を合わせると請求にかかる金一四三万〇二三五円を下ることはありえないものと認められる。
(三) 脳障害治療費
原告英治は、本件交通事故により脳波異常の障害を受け、その治療費として金二三一万三四九八円の損害を被つたと主張するところ、原告英治の東京逓信病院における脳波検査の結果異常所見が認められたことは前示のとおりであり、〈証拠〉によれば、原告英治は、東京逓信病院において、右脳波異常につき当分の間抗痙攣剤の服用を要し、かつ、年一回の脳波検査を要する旨診断され、抗痙攣剤についてはその後暫くの間服用し、脳波検査については以後五ないし六年間受診し、これにより少なくとも金五〇三〇円の費用を支出したことが認められ、この認定に反する証拠はない。
しかしながら、右脳波異常が本件交通事故によつて生じたものと認めることができないことは前示のとおりであるから、原告英治の脳波異常による損害の請求は理由がないものといわざるをえない。
(四) 諸雑費 金一六万円
〈証拠〉によれば、原告英治は、その入、通院治療のため、日用雑貨品、購入費、栄養補給費、交通費、通信費、看護婦、付添婦等に対する謝礼、文化費等として、合計金一六万円を下らない金額の諸雑費を支出したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないところ、前示の原告英治の傷害及び後遺障害の内容、程度、年齢、宮川医院への入院(昭和四五年一二月二一日)から東京身体障害者福祉センター退院(昭和四六年五月二九日)までの期間(一六〇日間)等を総合すると、同原告の支出した右金一六万円は、本件名不法行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
(五) 慰藉料 金六〇〇万円
原告英治が右大腿下三分の一以下切断の後遺障害により生涯義足による生活を余儀なくされるに至つたことは前示のとおりであり、原告英治本人尋問の結果によると、原告英治は、右障害により、就職その他の生活上著しい不便と不利益を被つており、これによる精神的苦痛は極めて大きいものと認められる(右認定に反する証拠はない。)。
右の事実及び本件において認められる諸般の事情を斟酌すると、原告英治の被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、金六〇〇万円をもつて相当と認める。
2原告春雄、同三千子の慰藉料各金一〇〇万円
〈証拠〉によれば、原告春雄及び同三千子は、愛育し将来に期待していた長男である原告英治が右大腿下三分の一以下切断の後遺障害を被つたことにより、同原告の苦痛を目のあたりにしてきたうえ、将来とも身体障害者となつた原告英治を思うにつけ不安と心痛に悩み続けるものであつて、その被つた精神的苦痛は甚だ大きく、同原告が死亡した場合に比較して著しく劣らないものと認められる(右認定に反する証拠はない。)。
右の事実によれば、原告英治が後遺障害を被つたことについて原告春雄及び同三千子にも固有の慰藉料を認めるのが相当であり、右認定事実及び本件において認められる諸般の事情を勘案すると、原告春雄、同三千子が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は各金一〇〇万円をもつて相当と認める。
3過失相殺
本件交通事故の態様は前記理由一の2に判示したとおりであり、右の事実によれば、原告英治には、前記駐車場の出入口から本件道路へ出るにあたり、左右の安全を確認しないまま駆足で飛び出した過失があることが明らかである。右原告英治の過失に本件交通事故当時の原告英治の年齢、本件交通事故現場付近の状況等の事情を総合勘案すると、被告俊夫、被告会社及び被告坂口の不法行為によつて原告らが被つた損害については二五パーセントの過失相殺をするのが相当と認める。
よつて、前記認定にかかる原告らの損害に対し二五パーセントの過失相殺をすると、原告英治の損害は金二八五四万六六七五円(一円未満切捨)、原告春雄、同三千子の損害は各金七五万円となる。
4損害のてん補
原告英治が、加害車輛に付されていた自動車損害賠償責任保険から保険金として金三四三万円の、日産サニー城南販売から本件交通事故による損害賠償として金三六万円の各支払を受けた事実は、原告らと被告俊夫及び被告会社との間において争いがなく、〈証拠〉によれば右のとおりの損害のてん補がなされた事実を認めることができる(約認定に反する証拠はない。)。
よつて、右3に判示した原告英治の損害額から右の損害てん補額を控除すると原告英治の損害額は金二四七五万六六七五円となる。
5弁護士費用
〈証拠〉によれば、原告らは、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため、従前の原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の提起と追行を委任することを余儀なくされたこと、原告春雄は、右訴訟代理人らに対し、原告ら三名の分として着手金約一〇〇万円を支払つたほか、本件訴訟において勝訴した場合に相当額の報酬を支払旨約していることが認められ、右認定に反する証拠はない(原告三千子は右着手金一〇〇万円は夫の原告春雄と共同して負担した旨供述するが、弁論の全趣旨によれば、右金一〇〇万円は最終的には原告春雄の出捐によるものと認められる。)。
右認定事実及び本件事案の難易、審理経過、前記認容額に、被告秀夫に対する請求が認容されえないこと等本件において認められる諸般の事情を総合すると、被告俊夫、被告会社及び被告坂口の前記不法行為と因果関係のある損害としての弁護士費用としては合計金一二四万円(原告英治分金二〇〇万円、原告春雄、同三千子各金七万円)をもつて相当と認める。
五 結論
以上によれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、被告俊夫、被告会社及び被告坂口各自に対し、原告英治において損害賠償金二四七五万六六七五円及びこれに対する本件各不法行為の日ののちである昭和五四年三月二四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告春雄において損害賠償金二八九万円及び内慰藉料金七五万円と弁護士に対する着手金のうち七五万円の合計金一五〇万円に対する本件各不法行為の日ののちである昭和四七年四月一日から、内その余の弁護士費別金一三九万円に対する本判決言渡の日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告三千子において損害賠償金七五万円及びこれに対する本件各不法行為の日ののちである昭和四七年四月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、右被告三名に対するその余の請求及び被告秀夫に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(塩崎勤 松本久 小林和明)
別表1の1 義足代予測費用一覧表〈省略〉
別表1の2 義足代の現価一覧表〈省略〉
別表2の1 脳障害治療費一覧表〈省略〉
別表2の2 現価(算式)〈省略〉